原状回復工事は、見積の総額が出ても請求先が決まらない。同じ1部屋のクロス張替えでも、借主に請求できる分と貸主が持つ分に割れる。割れ方を決めるのは三つで、その損耗が誰の使い方で生じたか、補修に最低限必要な施工単位はどこまでか、その建材の耐用年数が何年残っているか。
国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」が、この三つの線を部位ごとに引いている。使用を強制する性格のものではなく、最終的には契約内容と使用の状況で個別に決まるが、明細の組み立ては実務でこの表に沿う。
民法が借主の義務から外したもの
民法621条は、借主が原状回復義務を負う損傷から「通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化」を除いている。借主の責めに帰することができない事由による損傷も除かれる。使用と収益に必要な修繕の義務は貸主にあり、借主の責めに帰すべき事由で必要になった修繕だけがそこから外れる(606条1項)。
通常損耗:借主が社会通念上通常の使用をした場合に生じる物件の劣化と価値の減少。経年変化:居住の有無にかかわらず時間の経過で建物と設備の価値が減る分。
この二つが借主負担から外れる理由は、その費用が賃料で回収済みと考えられている点にある。ガイドラインは、通常損耗の減価の回収は減価償却費や修繕費などの必要経費分を賃料に含ませて行われているという最高裁の判断を引き、退去時にも借主へ負担させると契約期間中と明け渡し時で二重に評価されることになると整理する。
そのうえで原状回復を「賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること」と定義し、損耗を四つに区分した。
| 区分 | 中身 | 費用を持つ側 |
|---|---|---|
| A | 借主が通常の住まい方、使い方をしていても発生すると考えられるもの(経年変化、通常損耗) | 貸主 |
| A(+G) | Aに当たるが、次の入居者確保のための化粧直しやグレードアップの要素があるもの | 貸主 |
| B | 借主の住まい方、使い方次第で発生したりしなかったりするもの | 借主 |
| A(+B) | 基本的にはAだが、その後の手入れが悪く損耗が発生または拡大したもの | 借主 |
震災などの不可抗力による損耗と、上階の居住者のような無関係な第三者がもたらした損耗も借主の負担から外れる。
部位別の分担
契約書に添付する様式(別表3)が、部位ごとに貸主負担と借主負担を並べている。
| 部位 | 貸主が持つもの | 借主が持つもの |
|---|---|---|
| 床(畳、フローリング、カーペットなど) | 畳の裏返しと表替え(破損しておらず次の入居者確保のために行うもの)、フローリングのワックスがけ、家具の設置による床やカーペットのへこみと設置跡、日照や建物の構造欠陥による雨漏りで生じた畳の変色とフローリングの色落ち | こぼした後の手入れ不足によるカーペットのシミとカビ、サビを放置した冷蔵庫下のサビ跡、引越作業で生じた引っかきキズ、借主の不注意で雨が吹き込んだことによるフローリングの色落ち |
| 壁、天井(クロスなど) | テレビや冷蔵庫の後部壁面の黒ずみ(電気ヤケ)、ポスターや絵画の跡、画鋲やピンの穴(下地ボードの張替えが不要な程度)、借主所有のエアコン設置によるビス穴と跡、日照などの自然現象によるクロスの変色 | 日常の清掃を怠った台所の油汚れ、結露を放置して拡大したカビとシミ、クーラーの水漏れを放置したことによる壁の腐食、タバコのヤニと臭い、下地ボードの張替えが必要な程度のくぎ穴とネジ穴、天井に直接つけた照明器具の跡、落書き |
| 建具、襖、柱 | 網戸の張替え(破損しておらず次の入居者確保のために行うもの)、地震で破損したガラス、網入りガラスの構造による亀裂 | 飼育ペットによる柱などのキズと臭い、落書き |
| 設備、その他 | 専門業者による全体のハウスクリーニング(借主が通常の清掃を実施している場合)、エアコンの内部洗浄(喫煙などの臭いが付着していない場合)、台所とトイレの消毒、浴槽や風呂釜の取替え(破損なし)、鍵の取替え(破損と紛失がない場合)、機器の寿命による設備の故障と使用不能 | 清掃と手入れを怠った結果のガスコンロ置き場や換気扇の油汚れとすす、風呂とトイレと洗面台の水垢とカビ、不適切な手入れや用法違反による設備の毀損、鍵の紛失または破損による取替え、戸建賃貸住宅の庭に生い茂った雑草 |
結露によるカビが借主側に振れる条件は限られる。結露そのものは建物の構造上の問題であることが多く、貸主に通知もせず、拭き取るなどの手入れを怠って壁を腐食させた場合に通常の使用を超えると判断される。修繕が必要な状態を知った借主には貸主への通知義務があり(民法615条)、通知の有無が分岐に効く。
請求できる範囲は施工単位で決まる
借主の負担範囲は毀損部分に限定し、補修工事が最低限可能な施工単位を基本にする。色あわせと模様あわせは借主の負担にしない。
| 部位 | 借主の負担単位 | 工事施工単位(実体) |
|---|---|---|
| 畳 | 原則1枚単位。毀損が複数枚ならその枚数分(裏返しか表替えかは毀損の程度による) | 最低1枚単位。色合わせを行う場合はその居室の畳数分 |
| カーペット、クッションフロア | 毀損が複数箇所なら居室全体 | 1部屋単位 |
| フローリング | 原則㎡単位。毀損が複数箇所なら居室全体 | 最低㎡単位 |
| 壁(クロス) | ㎡単位が望ましいが、毀損箇所を含む一面分までは張替費用を借主負担としてもやむをえない | 最低㎡単位。色や模様あわせを行う場合はその面または居室全体 |
| 襖 | 1枚単位 | 最低1枚単位 |
| 柱 | 1本単位 | 最低1本単位 |
| 設備機器 | 補修部分、交換相当費用 | 部分的補修、交換 |
| 鍵 | 紛失の場合はシリンダーの交換 | 同左 |
| クリーニング | 部位ごともしくは住戸全体 | 専門業者による部位ごともしくは全体のクリーニング |
クロスが一面まで伸びるのは、毀損箇所だけを張り替えると張替え部分が明確に判別できる状態になり、建物価値の減少を復旧できていないと見られるため。一方で部屋全体の色と模様をそろえる工事は商品価値の維持と増大の側面が大きく、全面分を借主に負わせると貸主が原状回復以上の利益を得る。喫煙によって居室全体のクロスがヤニで変色したり臭いが付着した場合だけ、居室全体のクリーニングまたは張替費用が借主負担になる。
耐用年数と負担割合
借主に原状回復義務がある場合も、工事費の全額が借主負担にはならない。耐用年数経過時点で残存価値1円となる直線(または曲線)を想定し、経過年数が多いほど負担割合を下げる。割合は1から経過年数を耐用年数で割った値を引いて出す。
| 部位、設備 | 耐用年数 |
|---|---|
| 畳床、カーペット、クッションフロア | 6年 |
| 壁クロス | 6年 |
| 畳表、襖紙、障子紙 | 考慮しない |
| 襖、柱 | 考慮しない(考慮する場合は建物の耐用年数) |
| フローリング | 部分補修は考慮しない。全体を張り替える場合は建物の耐用年数 |
| 流し台 | 5年 |
| 冷房用と暖房用の機器(エアコン、ルームクーラー、ストーブ等)、電気冷蔵庫、ガス機器(ガスレンジ)、インターホン | 6年 |
| 主として金属製以外の家具(書棚、たんす、戸棚、茶ダンス) | 8年 |
| 主として金属製の器具、備品 | 15年 |
| 便器、洗面台などの給排水衛生設備、ユニットバス、浴槽、下駄箱(建物に固着して一体不可分なもの) | 建物の耐用年数 |
建物の耐用年数は減価償却資産の耐用年数に関する省令による。住宅用の値は次のとおり。
| 構造 | 耐用年数 |
|---|---|
| 木造 | 22年 |
| 木骨モルタル造 | 20年 |
| 鉄骨鉄筋コンクリート造、鉄筋コンクリート造 | 47年 |
| れんが造、石造、ブロック造 | 38年 |
| 金属造(骨格材の肉厚4mm超) | 34年 |
| 金属造(骨格材の肉厚3mm超4mm以下) | 27年 |
| 金属造(骨格材の肉厚3mm以下) | 19年 |
入居直前に張替えや交換を行っていれば起点は価値100%になる。そうでない場合は、建築後の経過年数や個々の損耗を勘案して1円を下限に起点を決め、当事者が協議で確定する。入居時のクロスの経過年数が3年なら、入居年数に3年を足した年数が退去時の経過年数。状態を協議で価値80%と決めたなら、グラフを20%分だけ下へずらす。
年単位で割り切れない期間は月数で計算する。耐用年数6年のクロスに4年8か月入居した場合の負担割合は、56か月を72か月で割った残りで約22%。耐用年数を過ぎたクロスの負担割合は1円まで下がるが、故意の落書きを消す工事費や人件費のように、設備として機能していた状態まで戻す費用は経過年数を過ぎていても借主負担になることがある。
経過年数を考慮しないもの
四つある。理由はそれぞれ違う。
フローリングの部分補修は、部分的に直しても将来は全体を張り替えるのが一般的で、つぎはぎの状態になる以上フローリング全体の価値が高まったとは評価できない。費用全額を借主が負担しても貸主がその時点の価値を超える利益を得ないため、経過年数を考慮しない。全体にわたる毀損で全面を張り替えた場合だけ、建物の耐用年数で割合を出す。
襖紙、障子紙、畳表は消耗品としての性格が強く、毀損の軽重にかかわらず価値の減少が大きいため減価償却資産の考え方になじまない。張替え費用は毀損させた借主の負担になる。
鍵の紛失は、交換費用相当分の全額が借主負担。シリンダーの交換までを含む。
クリーニングは、借主が通常の清掃(ゴミの撤去、掃き掃除、拭き掃除、水回りと換気扇とレンジ回りの油汚れの除去)を実施していない場合に限り、部位もしくは住戸全体の清掃費用相当分が全額借主負担になる。通常の清掃をしていれば、専門業者による全体のハウスクリーニングは次の入居者確保のためのものとして貸主負担。
金額の出方
国交省の参考資料(令和5年3月)が、8畳の部屋を例に計算を示している。単価は事例検討用に置いたもので、実際には工事費単価とは別に廃材処分費などの諸経費がかかる。
| 事例 | 前提 | 借主の負担 |
|---|---|---|
| クロスの破れとキズ2箇所 | 左右2面20㎡、単価1200円/㎡、新築時から4年入居(耐用年数6年で残り2年) | 20㎡×1200円×33.3%=8000円。色あわせのために残りを張り替える分は全額貸主負担 |
| 喫煙による居室全体の変色と臭い | 天井を含め40㎡、単価1200円/㎡、総工事費4万8000円、4年入居 | 4万8000円×33.3%=1万6000円。残り3万2000円は貸主負担 |
| フローリングの部分補修 | キズ2箇所で補修に要する2㎡、単価1万5000円/㎡、築10年の木造アパートに4年入居 | 2㎡×1万5000円×100%=3万円(経過年数は考慮しない) |
| フローリングの全面張替え | 13㎡、単価1万5000円/㎡、総工事費19万5000円、木造で築14年時点 | 19万5000円×36.4%(1から14÷22を引いた値)=7万909円。残り12万4091円は貸主負担 |
部屋単位の精算例も置かれている。築16年のRC造マンション(2LDK)に4年入居、敷金12万円の条件で、工事は4件。
| 部位 | 内容 | 工事費 | 借主負担 |
|---|---|---|---|
| クロス | リビング30㎡のうち2面(15㎡)に子供の落書き。リビング全面を張替え | 3万6000円 | 落書きはB。耐用年数6年で4年経過し割合は3分の1。1200円×15㎡×33.3%=6000円 |
| フローリング | 借主の過失によるキズとへこみが洋室(10㎡)全体にあり、洋室全体を張替え | 15万円 | 全体張替えのため建物耐用年数47年で20年経過、割合は57.4%。8万6170円 |
| 畳の表替え | 6畳の和室のうち2畳分に日照による変色があり、6畳分を表替え | 3万円 | 日照による変色はA(+G)、残り4畳はG。0円 |
| クリーニング | 退去時にしっかりと掃除をしている | 5万円 | 有効な特約が無ければA。0円 |
工事費26万6000円のうち借主負担は9万2170円、貸主負担は17万3830円。敷金12万円から差し引いた2万7830円が借主に返る。フローリングの金額が借主負担の大半を占めるのは、経過年数の分母が建物の47年で、クロスの6年と比べて割合が落ちにくいため。
精算明細に並ぶ項目
精算の様式(別表4)は、対象箇所ごとに修繕等の内容(洗浄、補修、塗替、張替、調整、交換から選ぶ)、単価、単位、量、金額、経過年数、貸主の割合と金額、借主の割合と金額の欄を持つ。経過年数を考慮するものはその年数を書き、負担単位と耐用年数から出した割合を工事費に掛けて両者の金額を出す。
単価の根拠は契約時に決めておく形になっている。契約書に添付する原状回復の条件(別表3)には、室内クリーニング、クッションフロア、フローリング、畳、カーペット類、壁と天井のクロス、襖、障子、室内ドア、柱、流し台、給排水設備、浴槽、便器といった対象箇所ごとに施工目安単価を書く欄がある。退去時には資材の価格や在庫の変動、毀損の程度、施工方法で変わる前提の目安。
敷金から原状回復費用を差し引く場合、貸主にはその具体的根拠を明らかにする必要があり、借主は内容と内訳の明細を請求して説明を求められる。敷金の返還は、賃貸借が終了して物件の返還を受けたときに、未払債務を控除した残額について発生する(民法622条の2第1項1号)。
特約で借主負担を広げる条件
経年変化や通常損耗の修繕を借主に負わせる特約は、法律上と社会通念上の義務とは別の新しい義務を課すことになるため、三つの要件を満たさないと効力を争われる。
- 特約の必要性があり、暴利的でないなどの客観的、合理的理由が存在すること
- 借主が特約によって通常の原状回復義務を超えた修繕等の義務を負うことを認識していること
- 借主が特約による義務負担の意思表示をしていること
最高裁は、借主が負担する通常損耗と経年変化の範囲が契約書の条項自体に具体的に明記されているか、契約書で明らかでないなら貸主が口頭で説明して借主が明確に認識し合意の内容としたと認められることが必要とする。客観性と必要性については、家賃を周辺相場より明らかに安く設定する代わりに義務を課す場合などが挙がるが、限定的に解される。
実務で多いのはハウスクリーニング特約とエアコンクリーニング特約で、部屋の広さや間取りに応じた定額が多い。Q&Aは裁判例を両側から引く。汚損の有無と程度を問わず専門業者の清掃を実施し費用2万5000円(税別)を負担する特約は、内容が説明されていたこと、借主が退去時の通常清掃を免れる面があること、金額が月額賃料の半額以下で専門業者の清掃費として相応なことから有効とされた(東京地裁 平成21年9月18日判決)。他方「ルームクリーニングに要する費用は賃借人が負担する」という定めは一般的な原状回復義務を書いたものにすぎず、通常損耗まで借主に負わせる特約とは言えないと判断された例がある(東京地裁 平成21年1月16日判決)。
ペット飼育可の物件でペットによるキズや汚れを経過年数の考慮なしで借主負担とする特約、消毒と消臭費用を定額で徴収する特約、喫煙によるヤニの変色や臭いがひどいときに経過年数を考慮しない特約も使われている。有効性は上の三要件に照らした個別判断になる。
単価と材料の出方
同じ材料を使っても、新築と原状回復では価格が変わる。フローリングなどの部材は坪単位で売られるのが一般的で、1㎡の修繕でも余分に買うことになる。部材の種類が多く、ある物件の原状回復のために仕入れた部材は別の物件では使えないのが通例で、同じ部材を大量に購入して施工する新築と比べて原状回復時の価格は高くなる。
単価として示される金額には、材料費だけでなく施工費用(労賃など)が含まれることが多い。相場を当たる資料としてガイドラインが挙げるのは、月刊積算資料と月刊建物物価、不定期刊行の積算資料ポケット版マンション、積算資料ポケット版リフォーム、マンション改修見積。掲載されているのは平均的な単価で、物件ごとの資材のグレードと施工方法で費用は変わる。高級品のクロスを使うようなグレードアップ分は借主の負担にならない。
工事を誰が発注するか
貸主が原状回復工事を行い敷金で精算する金銭賠償の方式が一般的。契約書に貸主または貸主が指定した業者が行うと規定されていればそれに従い、貸主が承諾しない限り借主が発注した業者は入れない。単に借主が原状回復を行う旨だけの規定なら、借主自ら、または借主が指定した業者による施工も可能とされる。
借主側で発注する場合の制約は三つ。返還予定期日までに工事を済ませて返さないと賃料や遅延損害金が発生する。借りている物件と同等の材質と仕上がりに応じて修繕しないと貸主からやり直しを請求される可能性がある。同等の材料と施工方法で通常損耗による価値の減少分を上回る状態にした場合、その利益分の返還には有益費としての別途請求が要る(民法608条2項)。
令和4年のアンケート(回収691件)で管理会社が挙げたトラブルになりやすい部位は、クロスが73.5%、フローリングが52.4%、カーペットとクッションフロアが33.4%、クリーニングが30.2%、扉や柱などの建具が27.0%(N=437)。解決手段は話し合いが96.1%を占め、弁護士による交渉が11.9%、少額訴訟が10.5%、通常訴訟が6.2%、ADRが3.2%と続く。
確認先: 「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(再改訂版)第1章(国土交通省)、同ガイドラインに関する参考資料 令和5年3月(国土交通省)、民法(e-Gov法令検索)



